どうも!DJ Hiro-Kです。
横浜は石川町のBAR CRIB(クリブ)で行われております Undeground Hose Party、House of Voogue のオーガナイザーでレジデントDJの DJ Yama にインタビューを行いました。
第二話となる今回は、DJ YamaがDJとしてクラブデビューし、日本のクラブカルチャーに勢いがあった90年代のお話が中心です。彼にしか語れない現場のリアルや、前回はQ&A的な話の流れでしたが、今回からはより対談的になっていきます。
第一話をまだ読んでない方は、先に第一話からご覧いただく事をお勧めします!
DJ Yama → Y
DJ Hiro-K → H
です。では、どうぞ!
H;初めて人前でDJをした時の事を聞かせて下さい。
どこのクラブで、ジャンルは何をプレイしたかとか、覚えておられますか?
Y;西麻布juiceで初めてDJしたけどほぼ身内ノリな感じで、キチっと人前でDJしたのは六本木nutsから。
Hip HopのDJ達に混じってラストはHouseって感じでDJしてました。
H;オファーはどういった経緯でいただいたんでしょうか?
また、六本木nutsはどんな箱でしたか?
Y;経緯で言うとその当時Hip Hop DJとして活躍してたDJ Horiuchiとよくつるんでて、彼がnutsでオーガナイズするpartyでHouse DJを探してて、丁度マッチしてレギュラーになった感じですかね。
nutsは基本Hip Hop専門の小箱で人気あって、のちにデカ箱渋谷nutsに繋がるクラブでした!
H;デビューからいきなりレギュラー!
それもまた凄いお話です。仲間ってやっぱり大事ですね。
だいたい94年くらいですかね?
当時はディスコ的な大箱もあれば、クラブ的な大箱、それに加えて小箱も沢山ありました。日本も海外もクラブカルチャーが花開いた時代でしたよね。
Y;そうですね大体94年前後辺りだと思います!
当時大箱Discoと言えばジュリアナからベルファーレになり、goldやyellowやendmaxのClub的大箱あったり、LoopやManiac Loveもありましたし、1番良い時期だったと思います。
めちゃくちゃ遊んでました(笑)
H;その頃は多分、私はまだクラブに行けてない地方の高校生の可能性があります(苦笑)
曜日ごとに行く箱変えて一週間埋まってたとか?
Y;もう本当その当時はお目当てのDJ目当てで箱変えて遊んでたよ。
それに沢山clubがあったから、ハシゴも良くしたし、選択肢が沢山あった時代!
H;確かにあの当時は、箱の営業形態も様々で、数も沢山ありました。
世界的にクラブカルチャーが花開いた時でもありましたが、特に日本では90年代の音楽バブルも重なっていて、メジャーからアンダーグラウンドまで、音楽を楽しんでいた総人口そのものが根本的に多かった時代です。
今の日本は若者の数も減ってさらに、コロナを経た今、街に、ストリートに出てくる人が少なくなった。ネットも発達したし、そのネットに個人単位でアクセス出来る様になり、娯楽が個人単位のものになってしまった。
あの当時の様な、流行を超えた熱狂というか、熱量の多さみたいなものはもう、二度と起きないと思っていて、あの当時を体験出来た我々の世代はほんと、運が良かったとしか言い表せないですよね。
Y;いや本当運が良かったよね。
ネットがなかった時代、色々なカルチャーが生まれて様々な選択肢あったし、熱量は全てそそぎこんでましたね。
ネットも無く、口コミと足を使って情報も探すのも楽しかった!
今は情報は簡単に探せるし便利になった反面、熱量はあの当時とは比べ物ないくらい下がったね。
あとは個人的に良い意味での不良も少なくなったかな。
でも若い子でも素晴らしい感性を持った子も増えてるのも事実で、House of Voogueではフックアップして行きたいと思ってます。
H;そうですね。あの当時、不良文化が音楽のシーンにも少なからず影響はあったと思います。ストリートだのカルチャーだの言っても、それって概念じゃないですか。具体じゃない。その概念が具体化されるには、その概念と人とを繋ぐインターフェースが必要で。そのインターフェースの役割をクラブが担っていたっていうのが私の持論です。まぁ、簡単に言うと、そういう人達の受け皿になってた、と言うか。
今はそれがあまり感じられないかもしれないけれど、House of Voogueというカルチャーで、若い層がどのようにカルチャーを自分たちなりに解釈し、表現していくのか、とても興味があります。今の時代だからこそ生まれる新しい熱狂ってのも有ると思いますし。
当時、曜日毎に箱を変えてクラブに通ってたそうですが、影響を受けたDJ、もしくは師事していたDJ等は居ましたか?
もしくは、印象に残っているイベント、パーティー等、そのあたりのお話を聞かせて下さい。
Y;この辺の話しをしたらめちゃ長文になってしまうけど(笑)
H;このインタビューはおそらく、様々な年代の方々に読まれると思うんです。当時を知らない若い世代にも当時の雰囲気を伝えたいので、むしろ長文は大歓迎です。SNSとかライブ配信って、流れていっちゃうじゃないですか。ブログって形式でやるなら、お互い長文でやり取り出来て、いつ読まれても良い、後々まで残せるものが良いなと。
だったらインタビューが良いんじゃないかなと。
普段、クラブとかだとなかなかじっくり話せなかったりすることって多いですよね。それをここに出していただけたらと思います。
Y;そうそうインタビューって残るから大事なツールの一つだよね。
なので発言には気おつけていきたい(笑)
端的に言うと影響受けたDJはkatsuyaさんとkangoさんの影響が1番大きいかな、勿論沢山のDJの方々の影響は受けたけど。
僕自身がダンサー上がりなので、沢山のDJを踊らすその選曲の妙にくらいましたね。
なので、お二人がpartyしてる時は追っかけじゃないけどよく遊びにいきましたし、ブース覗き込んだり勉強はしてました(笑)
印象に残ってるpartyも沢山あるけど、1番最初にやられたのは90年代後半、六本木R-hallでの native ってpartyでした。
rootsやサムさんのショーを初めて見たのもココで、katsuyaのDJを聴いたのもココで、ZeebraさんのMCを聞いたのもココでした。
全てのカルチャーが詰まってて、1番影響受けましたね。House of Voogueの影響はnativeです!
H;R-hallって私、行ったこと無いんですよ。でも、イメージとして、Hip HopとかHouseとかって言うより、ダンサー箱のイメージありますね。
それにしても、今は各方面で一線におられる方々が、その当時、R-hallに集まっていたのは熱いですね。
Y;R-hallを知ったのもたまたま六本木駅で宇治田みのるさんに会って、「ウチ遊びに来い」って言われて。
ダンサーが多いイメージだけど、サーファーやチーマーやB-boyや色々なカルチャーの人いましたよ。良い意味でClubでした!
H;宇治田みのるさん!
あの当時、時代がDiscoからClubへシフトした時でしたからね。Disco DJからClub DJへ上手くコンバートした方々が我々の先輩になってましたよね。
nativeのオーガナイザーがみのるさんだったんですか?
Y;nativeのオーガナイザーは別の人で、R-hallのプロデュースがみのるさんだったと思います。
みのるさんは六本木にerosってクラブでプロデュースしてる時に遊びに行って顔見知りになってて、湘南でも会うって感じで覚えてくれるようになった感じですね。
みのるさんが居なかったら、今のスタイルは築けてなかったターニングポイントだったかも知れない。
H;みのるさんのerosプロデュースの話は有名です。
R-hallもみのるさんだったんですか!
Y;R-hallもみのるさんでしたよ!
遊びに行くと必ず入り口付近にいてみんなに挨拶してました。
H;そのnaitiveというイベントからは、どんな影響を受けていますか?
Y;nativeはrootsやサムさんなど今でも語りつがれるOGハウスダンサーの人達が踊ってて、DJはカツヤさんやヒラグリさんやムロさんやワタライさんなんかもDJしてて、カルチャーにも音楽性にも影響されて。
ドレッドの人達がサークル作って、ニュースクールな踊りで、ハウスが流れて一体感がハンパなかった。
このnativeに影響されてる人達は結構いますね!
H;凄い面々です。ちなみに、Yamaさんの様にnativeに影響を受けた側の人達で、今現在、有名になっていたり、もしくはYamaさんがおすすめするDJやダンサー、オーガナイザーというかイベント、パーティー等は有りますか?
Y;今第一線で活躍してるダンサーはほぼ影響受けてるとは思いますよ。
当時だとyellowの水曜日枠がnativeに影響あるようなpartyが多くて、毎週通ってましたし、その中でcipherってpartyがあって、今voogue crewのhirotoくんやゲストに出てくれるkentaくんがレギュラーでDJしてたりと、雰囲気はあのままな感じで!
あくまでも自然発生的にサークルが出来るpartyが好きでしたね!
H;この頃はご自身でのオーガナイズのパーティーはまだでしたか?
Y;この頃は全然まだで、当時のオーガナイザー連中に聞いても俺には無理だなと思って(笑)
そもそもHouse界隈に人脈もなく、Hip Hopダンサーとツルんでましたので。やりたかったですけど。
H;ニューヨークでBody and Soul がスタートするのが96年。だいたいその辺の時代のお話だとだと思いますが、私の記憶だとその頃、HouseがわりとはっきりHard HouseとDeep Houseに分かれてきていた時期かと。
実際のところ、Yamaさんがご自身の目で見ていたあの当時の国内のHouseのシーンはどんな感じでしたか?
Y;正に分かれてた時期でJunior VasquezやDanny Tenagliaが人気あってNY Hard Houseがトレンドで、曲調的にも派手で中盤のドラムロール連打からのブレイクで一気に爆発みたいな(笑)
日本でもKoさんやEmmaさんやHiraguriさん等、party行くとピーク時にはかかってました。
嫌いじゃなかったですけど、当時Kim LighfootやShelter一派が大好きで、俺はやっぱコッチなんだなと分かってきた時期ですね!
H;あー!私も思い出してきました。そんな感じでしたよね。
Ken IshiiのEXTRAが95年にリリースされてるんですよ。ちょうどその頃だとTechnoも勢いがあったから、Hard House勢ってどっちかと言うとTechnoの方と仲良くてね。
私がDJ機材買ったのって、だいたいこの頃です。
元々CDを2〜300枚くらい持ってて、レコードを買い始める前からHouseはもちろん、Hip Hopその他、色々なジャンルだけは知ってて。
でも、やっぱ12インチじゃないとタイムリーに聴けない問題とかが有って。要はCDでリリースされるの待ち問題っていうか。
ターンテーブルを手に入れたときからHouse以外の物も買ってたんですよね。初めはHip Hop、R&Bが多かったんですけど。Houseの12インチを買うようになったらCDで入手出来るHouseと全然世界が違って(苦笑)
あと、Elite Forceの影響も有りますね。House DanceからDeep Houseの音を知っていった、って経緯もあります。
Y;CDでもMix CD形式が多くて短くてロングミックスもしてるからわけわからない感じだったよね最初。
でもKing Streetからリリースされたカタログ形式のCDは有り難いと思ったし、ヒロ君も通ってきたと思うけどミックステープの存在もデカいよね。Kenny DopeがHip Hopのミックステープだしたり、Muroさんのシリーズものだったり、NYのKiss FMだったり!
H;ミックステープの世界なら、須永辰緒も外せないですよね。
Y;須永さんのOrgan B.シリーズ買ってました。外せない。
H;House方面の人脈というか、つながりはどう出来ていきましたか?
Y;当時Hip Hopダンサー人脈と連んでて、しかも若いもんだから少し尖ってて、ハウスパーティーには行くけど、ダンサーしか仲良くならない的な感じでいたので、人脈はもっと後になりますね。
H;では、この頃のDJとしての活動は、Hip HopのイベントにHouse枠として出演する感じですか?
Y;正にそうで、この頃はHip HopメインのイベントでHouseをspinしてて、渋谷simoonのloyalrumbleってpartyでレギュラーを3年やりましたね。
DJの活動は初期から中期の頃で、2000年あたりだと思います!
simoonをメインにしつつブエノスやエイジアのラウンジでDJしたりもしてました、丁度乙女ハウスが流行りはじまる寸前の時期で。
でも3年後には育児が忙しくなってDJ自体はお休みするようになるんですよね。
H;ブエノス、エイジアでもプレイする事になったのはどんなきっかけからですか?
Y;きっかけは遊びに来てたオーガナイザーから話しを頂いてplayする事にはなりましたが、ブエノスはゴリゴリのHip Hop PartyでHouseは全然受けなく、悲しい思いしましたね(笑)
H;オファーを受けたとは言え、それはキツい(苦笑)
エイジアの方はどうでしたか?
Y;エイジアの方はウケてましたよ!
柔軟性あるB-Boyがエイジアには沢山いましたし、ブエノスはガチすぎてキツかったですね!
H;エイジアの方はラウンジでのDJでしたよね。そこはラウンジスタイルにスタイルを変えてというか、寄せてのプレイだったんですか?
Y;当時流行ってたウエストロンドン系のハウスやRasmus Faberのever afterを出た当時にかけたりしてましたね(笑)
New York Styleは封印して一応TPOには合わせてました。
H;あー、確かに!
あの当時はその辺りのキレイめ系なHouseも流行ってましたよね、Kaskadeとか。
そうそう、それでその後日本に渡って乙女ハウスに変わっていく、って言う。
Y;でもすぐ「あれ?これなんかちげーな」ってなってきて(笑)
出初めぐらいしか使ってなくて。
そうしたらブームになってたみたいな。
個人的に線引きが段々とわかってきた時期でもありますね!
H;とはいえ、ラウンジの場は任されています(苦笑)
Y;最初ラウンジでは綺麗目なHouseや西ロンドン系のHouseをかけてたんですけど、Houseダンサーが来るようになってNew York StyleなDeep Houseをゴリゴリ打ち出してました。
この辺りから自分のstyleが固まってきたのかも知れないですね!
H;何気にそれ凄い話ですよ!
そのパーティーに新規のお客さんとして、Houseダンサーを集客したって事ですからね。
Houseダンサーが来るようになったのはなぜですか?
Y;単にHip HopダンサーがHouseダンサーを連れて来て盛り上がった感じで!
でも、ずーと来てくれるようにはなりました。
ほぼダンサーが集まってましたけど、ショーケース主体ではなかった点も良かったですね。
H;それ、私の理想です。
イベント単位やDJのくくりで言うと、Hip HopとHouseってなかなか繋がりにくい。
でもダンスでなら繋がれる。
私自身、普段、House以外の音楽も聴きますし、掘ってますからね。
Y;ヒロくん自身も幅広いし、一度家に遊びに行った時もジャンルレスだなと思った。
自分自身もめちゃくちゃジャンルレスで、その時のモードでジャンルを切り替えて行く感じで、あくまでもベースはHouseだけど。
H;HouseのルーツとなるDisco自体が、そもそもジャンルの名前じゃなくて、なんて言うか、カテゴリー的なとらえ方じゃないですか。
Houseを聴く人って、結構House以外も色々聴いてる人が多いですよね。
Y;自分の周りのDJ達はジャンルレスに色々聞く人が多くて、中には固執してHouseだけって人達もいたり。
でもやっぱりDJとして色々なジャンルを経由してるDJが魅力的なのかなと個人的には思いますよね。
H;話それちゃうんですけどね。
私、プロの方々でも、House以外のDJより、必ずしもHouse DJの方が好きとは限らないんですよね。
Houseだと僕ははNoriさんが好きなんだけど、House以外でも好きなDJは沢山居て。まずは、元々Hip Hopが好きだった事もあって、Captain VinylとしてNoriさんと組んでるMuroさんね。他には、須永辰緒、小林径、grooveman Spot、海外だとGilles Peterson、DJ Premier、Pete Rock、Mark Farina。挙げたらいくらでも出てきちゃうけど、自身ではHouseをプレイしながらも、House以外のDJからも影響は受けてますね。
Y;名前上がってる人達、全員好きですね。自分も間違いないなと(笑)
あと最近ハマってるのがNujabes系統のHip Hopと言うか、Olive Oilってプロデューサー兼DJにハマってたり、海外だとJ Dilla辺りのデトロイトモノにハマったりしてます。
言い出したら本当キリがないのですが、あとレゲエも再熱してますね!
H;もうね、この辺の音の話をし始めたらキリが無いよね。
永遠に話してられる。Houseが好きとかDJだからとかの前に、お互い音好きってのはありますよね。
このままこの話してるとどんどん反れていくので、一旦ここで話を戻します。
この後、一度活動休止に入るそうですが、スタートはだいたい94年あたりですから、休止までの期間は約9年間ですね。
最初の活動で得た事や変化等は、どんな事がありましたか?
Y;最初はもうがむしゃらでDJして対してMixも上手くなくて、勢いでやってた感があって。
これじゃいけないと思ってた矢先に休止期間に入るって感じで!
でも最初からの活動や、使ってくれたオーガナイザーには感謝しかないです!
DJ Yama
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今回はここまでです。
そしてそして!
次回のHouse of Voogueは 6/22 に開催です!
詳細はコチラ!
↓
House of Voogue
4th saturday in even months
yokohama underground house music party
今回はお馴染みSATOSHI MATSUIが前回の東京版以来久々の登板となります。
しかも今回2h setでございます。
横浜に縁が深いマツイ
今回もめちゃ盛り上がる予感しかないです!
皆様是非横浜は石川町の地下cribへお待ちしております。
注)今回事情があり23:00オープンとなります!
お間達えないように!
2024/06/22(sat)
石川町crib
open:23:00-
fee:1500
genre:house(ny.chicago.detroit)
-guest-
SATOSHI MATSUI (NO HOUSE? / R.S.A)
(2h set)