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Street StyleなHouse Musicを探求するDJ Hiro-Kのブログです。その他、DJにまつわるあれこれを書いております。

【インタビュー】DJ Yama from House of Voogue 第四話

どうも!DJ Hiro-Kです。

横浜は石川町のBAR CRIB(クリブ)で行われております Undeground Hose Party、House of Voogue のオーガナイザーでレジデントDJの DJ Yama にインタビューを行いました。

第四話となる今回は、DJ Yama が House of Voogue 立ち上げの時のお話です。

実は、House of Voogueは、かなりイレギュラーな立ち上がり方をしておりました。詳細をぜひ読んでみてください!

DJ Yama → Y

DJ Hiro-K → H

です。では、どうぞ!

 

H;House of Voogueは、元々はDJ ichikawaさんのイベントだったとか。

Yamaさんの記憶が許す限りで良いのですが、元々のHouse of Voogue の歴史というか、知ってる限りの事をまずは教えていただけますか?

Y;元々自分が参加する前のVoogueはTechno、House、Hip Hopで形成されていて、そのスタイルのまま13年クラブを変えながらpartyを継続させて、最終的に今の石川町cribに落ち着いた感じで。

特にデカ箱でもあった関内ドラゴンクラブではビックネームのアーティストも呼んでたみたいで、オジロ(OZROSAURUS)のマッチョも頻繁に遊びに来てたらしいです。

H;繋がったきっかけとしては、元々ichikawaさんのオリジナルHouse of Voogueに遊びに行っていて、そこからゲストのオファーを受けたんでしたね。

Y;そうそう。元々オリジナルVoogueに遊びに行ってて、イッちゃん(ichikawa)からオファーもらって、ダンスショーケースに出たりDJしたり、呼ばれるようになって行きましたね!そこからcribオーナーの小野くんや遊びに来てる面々と人脈形成を深めていったりしてました。

H;これまでのインタビューの内容から、

・96年頃、オリジナル House of Voogue が、青山 パンテラでスタートする。

・その後、関内 ドラゴンクラブ→石川町 crib へと箱を変えながら15年続いて2011年。

でしたね。

Y;俺が行き始めたのは2010年あたりかな石川町cribの頃で。

H;House of Voogueがcribに移ってからだったんですね。ちょっと意外でした、あれほど幅広く活動されてましたので。

House of Voogue がcribに来たのはいつ頃か覚えてますか?

また、なぜ移って来たのかとか、理由はうかがってますか?

Y;移ってきた時期と理由も全然聞いてなくてわからないのだけど、関内ドラゴンクラブ時代のVoogueはHouseとHip Hopの2フロアで形成してて、尚且つデカ箱でもあったから、単純にcribに移してシンプルにしたかったのかも?と憶測ですが、そんな理由だと思います。

そのドラゴンクラブでHip Hop勢達が同じ時期にMy PartyっHip Hop Partyも立ち上げてて、Voogueとは兄弟Partyで自分もレギュラーに途中からなりました!

H;ダンスショーケースや単発のDJのオファーの後に、レギュラーに加わるわけですが、そこに何か、ichikawaさんと通じる物があったわけですね!

Y;実はレギュラーではなかったんだよね(笑)。単発で呼んでくれる感じで。

ここまでは旧Voogueの話だけど、ここからガラリと変わって行くんだよね!

H;え?レギュラーになるのは新House of Voogueからなんですか?

Y;そう。レギュラーになるのは新生House of Voogueからなんだよね!

H;普通、レギュラーメンバーに加えてから、オーガナイザーの役を預けるって流れだと思うんですけど、何があったんですか?

Y;そう。普通はそうなんだけど、旧と新が入れ替わりレギュラー陣も一斉に入れ替わるのよね、俺の意向で!だから旧と新は全く内容も別モノになって行くんですよね。

H;一斉に入れ替え?

その規模のお話だと、普通に考えて、パーティーを引き継ぐというより、パーティーをやっていた箱の枠が空くから、その枠で何かやらないか?って話になりますよね。

そして、Yamaさんが一から自分のパーティーをやる、となる方が自然です。

どういったお話、どういった流れで、ichikawaさんから、レギュラーでもなかったYamaさんが引き継ぐ事になったんですか?

Y;元々俺は横浜大桟橋にあるjack cafeでpartyをオーガナイズする予定だったんだけどそれが破断になり、先輩のダンサーに相談したらイッちゃん(ichikawa)が相棒を探してるみたいだから合流したらってなり、合流する事になったんですよ。

そして俺の思うparty思想を全面に組み込んでもらって、レギュラー陣一層コンセプトもゲストの何から俺の考えを組み込んでもらって誕生したのが新生House of Voogueなんですよ!

最初は名前を変更するってミーティングになったけど、名前は残そうってなりそのまま使ってる感じで。大体2011年あたりの話しになります!

H;その案は、jack cafe でやろうとしていた事だったんですか?

Y;そう。パーティー名もprayers under groundって題して、企画も内容も決まってたけど金銭で折りわず断念したんですよね。

H;ichikawaさんはなんとおっしゃってましたか?と言うか、ほぼほぼオリジナルHouse of Voogue の形は無いわけですよね。ichikawaさんはichikawaさんで相棒を探していたとの事でしたが、ichikawaさんは何をしようとしていたのですか?

Y;イッちゃんは俺がそのjack cafeでやろうとしてたpartyに賛同してくれて、じゃ一旦オリジナルのHouse of Voogueは終了して俺の考えの元に発展していく立案を立てて行くって感じになりましたね。

最初はオリジナルを継続の為に相棒を探してたみたいだけど、俺の意向を汲み取ってくれたんですね!

で、新生House of Voogueがスタートして行きます。

H;メンバーが一新と言う事でしたけども、メンバーにichikawaさんは入ってるんですか?

Y;イッちゃんは勿論新生Voogueのメンバーでオーガナイザーの立場でしたよ!

H;ですよね。いくらメンバー一新とはいえ、ichikawaさんが抜ける訳ではないですよね。

では、新生 House of Voogueの企画の中身について詳しく教えて下さい。また、オリジナル版との違いはどんな点でしたか?

Y;新生House of Voogueの企画内容は黒いHouseを重きに置いて、著名のハウスダンサーを入れたり、その内容に当てはまる著名ゲストDJ、PartyのトリはHip Hop DJを配置したりなどの改良を俺提案で変更しました。

オリジナルはテクノDJが入ったりして、自分が思うコンセプトとは真逆には感じてましたね。

H;新House of Voogueでも続投となったオリジナルメンバーは、ichikawaさん以外に居ますか?

また、内容が変わってしまった事による客離れ等は起きませんでしたか?

Y;イッチャン以外だと元々ラッパーだった佐藤ともゆきも継続メンバーになって、元々いた客層もそのまま遊びにきてくれましたよ。

わだかまりは無かったと思ってます!

H;新生メンバーは、Yamaさんが考えたjack cafe案のメンバーが入りました。このターニングポイントによって、離れたメンバーもいたわけですが、その方々とは今も交流はあったりしますか?

Y;交流はないけど会ったら挨拶したり仲は良いですよ!

しかも一回ゲストで呼ばれたりしてるので全然ギスギス感はないと思ってます(笑)

H;ほんと、それ大事ですよね。

次回、10月開催で13年ですね。でもそれはあくまでも新生House of Voogueだけの期間ですので、オリジナルも含めると、一つのパーティーが同じ場所で同じ名前のまま、13年以上続くのはめったに見ません。長いです。ここまで来るのに紆余曲折あったかと思います。

これからは、新生House of Voogue の歴史についてうかがっていくわけですが、例えばメンバーですけど、新生House of Voogue スタートから今のメンバーに残ってらっしゃる方はおられますか?

Y;今O.Gとして残ってるのが女子DJ chazzyちゃん1人になってしまいましたが、O.Gメンバーであるkenさんやdeckmanなどはいまだに遊びにきてくれてます。

紆余曲折あってメンバーも入れ替わりもありますが、本当皆のおかげでここまで続けられてると思います!

H;フライヤーにあるメンバーが、Yamaさんが選んだオリジナルメンバーですか?

Y;俺が人選した中だとchazzy、deckman、kenさんの3名になりますね。

残りの人選はイッチャンになります!

H;パーティーの内容は一新してもお客様が継続で来てくれていたそうですが、2011年、2012 年頃だと、ちょうどDeep House周辺に、それほどスポットは当たってなかった時期だと思います。

お客様が他のジャンルに流れたとか、全体的な面で運営が難しかったとかはありませんでしたか?

Y;確かにその頃Deep House周辺はスポットが当たってなくて、Tech House全盛期だったし、横浜自体がReggaeやHip Hopの流れが残ってた時代だったので、当初は運営の部分では難しい頃でしたね。

それに横浜にDeep Houseは全く浸透してなかったし、それをフィーチャーして行くのは容易ではなかったです!

H;確かに!

神奈川 横浜 といえば、ReggaeだとMIGHTY CROWN、FIREBALLもでしたかね。Hip HopだとRHYMESTER、ICE BAHN。高校生ラップ選手権が確かもうちょい後くらいに始まってBAD HOPですもんね。4つ打ち系よりもブラック系のほうが強いイメージあります!

Y;あとね!オジロザウルスね(笑)

オジロのマッチョ君は初期のVoogueに一回来てたらしいのよ、イッちゃんの後輩で。

横浜ってジャンルは別々だけど横の繋がりがあったりして、レゲエのサウンドマンやラッパーなどVoogueに遊びに来たりするし、そう言った面でほかの都市とは違うところでもあるのかな。

H;サ上とロ吉もでしたね。挙げたらまだまだ沢山出ますよね、横浜は。

他ジャンルとの横のつながりは、多分地方に行けば行くほど濃くなる気がします。ある一定数以上ボリュームが無いと、シーンの盛り上がりって作れないので。

だとすると、横浜って、地方っぽさと都会っぽさが両方ある不思議な都市なのかなぁと、横浜じゃない地域の私の目からはそう思いました。

Y;正に地方っぽさと都会っぽさの両方が混じってるのが横浜の良い一面でもあるのかな。クラブの雰囲気を含め不良ぽさも残ってるし、東京にはない独特の空間が横浜にはありますね。

H;横浜という土地柄で言うと、当時、外国人のお客さんとかはどうでしたか?

Y;石川町自体あんまり外国人の人って歩いてないくて中華街エリアで終わってしまうので最初は来なかったですけど、ここ最近はイベント時期になると来たりしますし、常連で外国人の仲間も来たりしてますね!

H;横浜のイメージだけで、外国人のお客さんが多いのかな?と思ってまして、すみません。

他ジャンルの方が勢いがあった中、集客のために、どんな事を取り組んでいましたか?

Y;あんまりクルー内で集客の話し合いはした事がほぼなくて、それこそイッちゃんとも話し合いもなくて、個人的には色々なパーティーで顔だして売り込みはしてましたね。

あとはゲストの方々のファンからさらに広がったり、集客に関してはあんまり頑張った記憶はないですね(笑)

H;ゲストのファンから広がる!一番良い形ですよね!

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今回はここまでです。

次回は立ち上げ以降、DJ Yama 自身もDJとして現場に立ちながら、このパーティーをオーガナイズに孤軍奮闘する模様が語られていきます。

 

そして!次回のHouse of Voogue は 10/26(土)で13周年の記念回となります!

遊びに行ってみたい方はMapのリンクも貼ってありますので、是非チェックよろしくお願いします!

4th saturday in even months

yokohama underground house music party

「House of voogue」~13th anniversary

2024/10/26(sat)
石川町 crib;MAP

 

open:22:00-

fee:1500

genre:house(ny.chicago.detroit)

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